Sws プロレス。 玉袋筋太郎 伊豆大島・SWS合宿所捜索を語る

谷津嘉章が明かす“地獄のど真ん中”WJ一部始終=kamipro発

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「場所、教えて。 そういうこと。 この一連の流れを見て25年来のプロレスファンである私(P. 天龍だ、天龍! 天龍源一郎だ!」って。 小佐野 というか、天龍さんに限らず、みんな「……なんでこんなに来るの?」と思ってたはず(笑)。 劇画には谷津さんも登場してます(笑)。

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SWS分裂②・・・カブキの降板、谷津の告発で分裂への引き金が引かれた!

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ある関連本ですとSWS対策で馬場さんと坂口さんと山本氏が緊急深夜会談を行った結果、山本氏が「私に任せてください」と発言し、それから週間プロレスの「金権プロレス」の記事になり崩壊に追い込んだと、まあ山本氏の自慢話にしか聞こえないのですが、当時を知らない私は本当のことがわかりません。 見つけた時は喜んだね、俺は。 露天風呂が。 本当はドン荒川のごっちゃんですイン タビューも欲しかったですが。 小佐野 いや、金が原因だったら大人しくしていますよ。 (安東弘樹)2時間かー! (玉袋筋太郎)だいたいね、夕方2時ぐらいに出発だったから4時ぐらいだよ。

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SWSとは何だったのか?②1991年~週プロと対立、WWFとの共闘!

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SWSとほぼ同時期に旗揚げした大仁田のFMWは、旗揚げ資金 にすら困るような貧乏団体でしたが、大仁田自身が体を張り 電流爆破でプロレスというジャンルを必死にアピールすることで 、気が付いたらメジャーと肩を並べる存在になりました。 しかしながら一般企業の論理としては「ここまでしてやっているのに、どこまでもキリがない、もう付き合いきれない」となったのが解散の理由ではないか、と思います。 大島中を探してさ。 『SWSプロレス激闘史』pp084• 「いや、違う! ジャンボ鶴田じゃねえ。 谷津さんはどういうルートでSWSに移ったのかなあ。 歓迎、歓迎。 きっと精一杯頑張ってはいるのでしょうけど、試合を組み立てるセンスが劇的ありません。

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SWSをちゃんと観てみた その1:SWS観戦記

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(玉袋筋太郎)そこをね、プロレスライターも一緒にいたから、2日目は探そう!って。 かつて伊豆大島にあったプロレス団体SWSの合宿所を捜索した話をしていました。 反天龍派がレボリューションやWWEの選手たちとの試合を拒否したから仕方がない。 ありがたいことです」と大人の対応も示していた。 大仁田は電流爆破のイメージが強いですが、FMW駆け出しの頃 は、バスではなく自身が運転するワゴン車で全国各地を回り 、人が少ない過疎地や小学校の体育館など、メジャー団体が 行かないような場所へ行き、観客が少数しかいないような会場 でも一切手抜きせずデスマッチをやっていました。 場所」なんつって。 これだけしっかりとやれる若い選手がいたら団体の未来に希望が持てそうなんですけどね。

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SWSとは (エスダブリューエスとは) [単語記事]

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実は旗揚げ戦はテレビでチラッと観た記憶がありましたが、その時どういう感想を持ったのか全然覚えてませんでした。 引き抜きにより他団体からの集められた選手たち全体の統制がとれなかったことと、上記の別制度が団体内部での閥争いを引き起こしたこと、団体成立に対して的であったターザン編集長時代の「週刊」誌との確執等が原因となり、短期間で団体崩壊することになる。 ホーガンやロード・ウォリアーズが呼べたからビッグマッチができたんですよ。 応援しないようになっちゃって、潰れてしまったんですよ。 (安東弘樹)山田さん。

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SWSプロレス激闘史―企業プロレスの先駆けSWS、2年2ケ月の闘いの軌跡 (B・B MOOK 1262)

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(玉袋筋太郎)1社で。 そのポンコツというのは高野ブラザーズですね。 多くのファンは週プロを信じ、ターザン山本を信じ、そしてSWSを悪だと信じ込んだ。 そのときの畑の扱い方に許せないことがあって、佐野くんは新日本をやめたんじゃないか……なんて噂はあったけれども。 この時に何があったのか、は諸説ありますが、おそらくはオーナーの田中氏としてもこれ以上、団体の運営に関わるのは困難、と判断したのだろうと思います。 プレ旗揚げ戦『越前闘会始』には、山本が自ら試合会場に出向いて直接取材を行ったが、全日本時代の天龍革命のような凄みを感じられなかったことから、誌面にはSWSおよび天龍に対してネガティブな記述が次第に多くなって行く。

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